ギャンブルの才能に恵まれなかった君へ
ギャンブルの才能に恵まれなかった君へ
小中学校を思い出してほしい。 勉強が得意な人、運動が得意な人、人を笑わせるのが得意な人。 こういった才能はDNAによってある程度決まっており、過ごした環境で変化すると言われている。 あらゆる能力は遺伝的で、生物として生まれた私たちは少なからず影響を受けることになる。
すなわちセンスである。
人間の世界はいつもセンスとの戦いだ。 では、ギャンブルはどうだろうか。 もちろんギャンブルにも技術は存在するが、ギャンブルの本質を考えたとき、 それは運である。
運にも才能があると私は考える。確率が収束するなど実践上信じがたい。
世の中は引きである。
いくら設定が良くても、期待値を追っても、引きが良くないとスロットは負ける。いくら釘が開いていても、引きが良くなければパチンコは負ける。
なにもパチンコ・スロットに限ったことではない。我々の人生も選択の連続である。
人生は選択
選択は運の要素を持つ
ギャンブルは運
以上より「人生はギャンブル」ということになる。
人生の話に脱線したが、 パチンコ・スロットで勝てるようになるには引きを強くする必要がある。 人間はある分野の才能に恵まれなかった場合、努力し後天的にある程度取得することが可能だ。 最初は早く走れずとも、練習により以前よりも早くなる。 これをギャンブルに置き換えて考えてみる。 引きが弱ければ、運を鍛えるのみだ。 しかし、運の良い悪いは科学的には説明できない。 一般的に運が甚だしく良い人を神に愛されていると言ったりする。
すなわち運が良いか悪いかということは神に愛されるか否かということに帰結する。
だから神に愛される方法を考えようと思う。
こうして生まれたのが宗教である。
宗教とギャンブルには密接な関係があるのだ。
ここまで長々と、ギャンブルの才能・ギャンブルと宗教の密接なつながりについて述べてきたが、
私が言いたいことは
ギャンブルのセンスがない奴はパチンコ打たないで勉強しろ
ということだ。
そう、私のことである。